元和8(1622)年、多聞院興性法印が宮城県栗原市三迫から移転。
仙台藩第2代伊達忠宗の、足軽105軒配置転換の命によるといわれている。
既に当地に多聞寺が存立し、多聞院ではなく興性寺と称したと推測される。
併せて鎮守神愛宕社別当を勤めたので、愛宕山を号とした。
江戸中期、当初地から現在地に下げられ、移転。
享和年中(1800年頃)に火災に遭う。旧本堂は火災後再建のもの。
明治以降は、廃仏稀釈の影響を受けるも、昭和初期25世眞海が専住として中興。
平成13、14年、本堂増改修工事を行う。
真言宗の法流に則った引導修法と声明付の読経により亡者の滅罪供養を行っています。
地域風習も取入れ丁寧な供養を勤めています。
真言密教最高の祈祷といわれる「護摩祈祷」を定期的に開催しています。
七五三・ランドセル祈祷といった子育安寧の祈祷会も開催しています。
数十年に渡り、檀信徒と住職が霊場巡礼を続けています。
近年は、瞑想体験会やヨガなど仏道修行一部を体験できる企画を行っています。